貘宇について


「はじめに」で色々と自己紹介をしましたが、ごちゃごちゃ言い訳がましく前置きしといて、なんで雅号なんて持ってるんだと思われた方もいらっしゃると思うので、こちらで軽く触れておきます。

まず、「貘宇」の読み方ですが、こちらはサイトのアドレスなどでもお分かりの通り「ばくう」と読みます。
特に師匠などが居るわけではないので、自分で好きに付けたものであって、某一◯書道会でもこれを使っているので、そちらに加入されている方の中にはもしかしたらこの名前を目にしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
特別上位にいるとかそういう訳ではありませんが、数年前同会に改めて入り直した最初の頃、多少やる気のあった時期に何度か写真バン(版?板?)に載った記憶があるし、ずらっと名前が並んでいるページでも字面がそれなりに目立っていたと思うので、目に留めていただけた可能性はあるかなと思っています。
上で師匠はいないとは書きましたが、祖母が昔から家で書道教室を開いていたので、自然と僕も書道をするようになり、幼稚園くらいから一◯書道会に入って、小学生の間は向かうところ敵無しみたいな無双状態だったようですが、中学辺りから書道をしなくなって、部活動はとりあえず書道部に入っていましたが、それでも書道会への投稿はほとんど途絶えることになりました。
その後、大学でも一応書道同好会的なものに所属して、半年に一回くらい作品作るみたいなペースで活動していただけなので、昔取った杵柄だけで何となくやっていました。
その頃は結構尖っていたので(笑)、無茶苦茶な作品を作って観衆を面喰らわせることだけを楽しんでいるような状況で、一緒に面白がってくれる同期の理解者も居てくれましたが、それ以外からは総スカンみたいな立ち位置に陥っていて、まぁそれでもそれなりに楽しくはあったので今思うと悪くはなかったんですが、その頃の友人たちとももうほとんど会う機会もないのがちょっと残念です。
それもまぁ僕自身に非があるというか、引け目があるせいではあるので、僕自身のメンタル的な部分が改善あるいは向上もしくは復帰すれば、彼らとも普通に昔話に花を咲かせることは出来る気はしています。
(大学時代の活動についてご興味ありましたら、いずれ書くこともあるかも知れません。
なかなか恥ずかしい若気の至り、卑怯者のアンチ武勇伝ばかりですが。。。)

で、かなり脱線してしまったのですが(笑)、閑話休題すると、大学卒業後、なんやかんやで地元に戻って来てしまい、それでまぁなんか手持ち無沙汰でもあったので、書道を改めてやろうと一旦思い立って、その時に付けたのがこの「貘宇(ばくう)」という名前でした。
その頃の僕ときたら、詩人の山之口貘氏に傾倒していて、ついでに貘という生き物に囚われていました。
それで「貘」の字をどうしても取りたくなったのです。

貘というのは本当に不思議な生き物で、興味の尽きない存在です。
「ばく」には「貘」という字と「獏」という字の二種類があるわけですが、僕の好きな方の「ばく」は「貘」なのです。
何となく個人的なイメージでは、空想上の所謂「夢を食べる」動物は「貘」で、英名でTapirと呼ばれる白黒の実在する動物は「獏」だと思い込んでいるので、必然的に「貘」が正字となります。
もちろん山之口貘氏から取っているのでそれ以外ないのですが、この字から連想される動物は夢喰いの方の奇怪な容姿の霊獣としての「貘」の方だということは僕の中では相当重要なことなのです。

この「貘」の字を分解すると、左の偏は「獣」を表し、右の旁は「莫し(なし・無)」を表しています。
つまり、獣であって獣でない、そういう両義的な自己撞着した存在がこの「貘」なのだと、僕は解釈しています。
「人でない人」なら、例えば「俳人」なんかはそのまま人非人を組み合わせたように見えるし、あるいは「仏」というのもある意味で人の形をした人でない物を象ったもののようにも思えます。
言わばそういう風流であったり神聖性のけもの版が貘なんじゃないかと、ある時ふと思い至りました。
山之口貘氏がそういう発想から貘を自称したのかは分かりませんが、氏の生き方を見るとそういう何者かであるのに何者かではない、みたいなものへの憧れというか、それそのものへの帰依みたいな印象を受けます。
貘さん自身がそういう言語や文字の枠を超越した存在に長年の苦労の末至っていた、という感想を僕は抱いています。
だから貘さんは貘さんだし貘という名前がぴったりだし、貘以外の名前は有り得なかった、と思います。
どうしてこのような人を食ったような名前を思いついたのか、そのこと自体が尊いし、その事実だけでこの詩人がどれほどすごい詩人だったかということが理解されます。

それでまたしても半脱線しかかったまままた長々書き連ねてしまったのですが、でも僕がこの「貘」を借りてきた意味が案外深いということを何となく分かってもらえたと思うので、それだけで十分です。
単刀直入に言うと、僕は貘さんになりたい。
いつか貘さんと呼ばれるような存在になりたい、という思いもあって、「貘」なのです。

では、残りの「宇」という字に何か意味があるのかと言われたら、実際のところ単なる語呂合わせです(笑)
「貘山(ばくざん)」だと同じ音の書家がかつていたので、よろしくない。
単なる「貘(ばく)」だけだと貘さんのモロパクリになるし、音的にも収まりがよくないし、雅号を書いたり掘ったりするにも一文字ではちょっと物足りないところがあるので、五十音を頭から嵌めて行ったときに三音目でピタッとはまった感じがして、「ばくう」になりました。
文字も何でも良かったのですが、ただ何となく「雨」とか「羽」とかでは叙情的すぎたり対象物が存在してしまって、貘の印象が薄れてしまう嫌いがある。
あとは「有」だと「ゆう」とも読めて、いちいち断る面倒臭さも生じる。
そういうそれなりの思惑もあって「宇」を選びました。
それに「宇」は「宇宙」の「宇」であるので、何かしら深遠なイメージはぽっと沸く感じもあって、僕の中では「貘によって支えられる宇宙」みたいな、ヘンテコな影像が思い浮かんでいたりもするのですが、そこまで行かずともとりあえず「貘」の方だけ想起させられたらいいかな、と思ってこの字面を使っています。

それで「ばくう」の音ですが、ちょっと間の抜けた感じで↗︎↘︎→みたいなイントネーションで、「ぶぁくぅぅ」とでも脳内発音していただければ結構です。
多少訳知り顔の方の中には、バクーニンの名を連想なさる人も居るかも分かりませんが、そこまで深い意味はないと、ひとまず言っておきましょう。
ただ、なんとなく厭世とアナーキズムには興味はあって、根っこのところでは無神論者なので、あながち外れているわけでもありませんが、どれもこれも歴史のいたずらと捉えておいてください。
(「神であって神でないもの」を表す一文字をご存知の方はこちらまでご一報ください。)

というわけで、以上、僕の雅号「貘宇」についてあれこれと、おそらくあまり興味のない部分まで詳しく書いてしまったのですが、自分の名前について自分で滔々と語れるのはそれを自分で付けた者だけの特権でもあるので、無粋を承知で書かせていただきました。
何が言いたかったかと言うと、つまり、貘宇くんは「バクのフレンズなんだね」、って話です。
どうもありがとうございました←

揮毫 貘宇

ドルヲタ系書家(仮)・永田貘宇のホームページです。 日記代わりに書作品を投稿しています。 作品製作の依頼等お待ちしております。

0コメント

  • 1000 / 1000