今日の書・14〜十六歳の「独白」

突然ですが皆さん、『ROCKIN'ON JAPAN 12月号』はもうお読みになられたでしょうか。
僕は昨日買って来て真夜中、ブログを書き終えた後にひと通り読んだのですが、巷でも話題になっているらしく、売り切れになるような店も出ているようです。
というのも、今号は別冊付録として平手友梨奈さんのインタビュー「十六歳の『独白』」というものが付いていて、彼女の120分にもわたる独占インタビューが収録されており、それが雑誌発売前から話題騒然となって、多くの欅坂ファン、アイドルファン、あるいは音楽ファンがそれを目当てにROCKIN'ON JAPANを買い求めているという話で、御多分に洩れずこの僕も、そんな噂を聞き付けて居ても立っても居られずに本屋まで行ってみたのですが、一応読み物系の雑誌であるため、立ち読み可能とはなっていましたが、その場で「立ち読む」にはいささかボリュームがあり、内容も濃かったし、雑誌の値段もこの手のものにしては手頃に思えたので、あとはインタビュー記事以外にも短髪になった平手友梨奈さんのグラビアが相当枚数載っていたのもあって、一種のコレクターズアイテムというか、永久保存版として手に入れておこうという気分にもなったため、立ち読みもそこそこに購入へと移行し、持ち帰って来たわけですが、とりあえずブログを更新する必要もあったため、散らかり放題の床の隙間の分かりやすい場所に供え、然る後、改めてインタビュー記事を読み出したのですが、多少眠気はあったし、文字量もなかなかのものであったものの、読み始めると終いまで読んでしまって、その後も読後感として色々な夢想が働かせられるなど、一アイドルウォッチャーとして、またアーティスト的な存在に興味を抱く者として、結構な刺激を受けるような、薄いけれども密度の濃い小冊子として、手元に置き続けたい、平手関連の重要な一次資料となり、分冊ということもあり、特に興味のそそられる記事のない本体はすぐにも処分できるという便利さにも感謝しつつ、明日(今日)は特別テーマがなければ、この新鮮な感動の薄れないうちに、平手ちゃんの独白について何かしら書きたいなと思わされ、今日になって、やはり特別書きたい字題も得られなかったので(あれ?NGT48のニューシングル関連はどうしたんだ?と思われる方もいるかもしれませんが、MV等がまだでブログ本文が書きにくいこともあって、また時機を見て書きたいと思っています(とりあえず本間日陽さん、25人全員(※10月末で卒業して大滝友梨亜さんを含む)での全体曲『ナニカガイル』のセンターおめでとう!))、この「十六歳の『独白』」という、インタビュー記事のタイトルを書いてみることにしました。
(今このアマゾンへのリンクを貼ろうとして気付いたのですが、アマゾン自体の在庫は切れているみたいだし、マーケットプレイスでは早速定価以上の値が付けられ出しているようです。(※11月2日現在))

まずこの「ROCKIN'ON JAPAN」という雑誌について僕は特に熱心な愛読者というのではなく、あんまり詳しくなかったのですが、かつては硬派なというかむしろ固陋なロック専門誌という感じで続いていたものが、最近編集長が改まって、その3代目編集長である「小栁大輔」という方が就任してから、同氏はサブカルやネットカルチャー系に明るい方であるらしく、雑誌自体も大きく門戸を広げる方向で変革され、昨今では時流に沿う形でいわゆる「アイドル」領域のアーティストも取り上げるようになり、結果、欅坂46、とりわけ平手友梨奈さんにスポットライトを当てた特集が今回含めて過去2回(以上?)組まれるなど、気風に変化が見られるようになっている、という背景があるらしく、特に今回の平手友梨奈の「独白」は件の小栁氏直々にインタビュアーを買って出るなど、編集長肝煎りの独占インタビューとなっていて(おそらく「社運を賭けた」みたいな使い古された枕詞を付けたくなるような代物だったのでしょうが、その目論見は相当の成果をあげたように見えます)、氏は以前から欅坂46のライブにいたく感動したという旨のツイートをしたり、多くの「文化的感度の高い」人たち同様、「平手友梨奈」という一存在に魅了され、ほぼほぼ心酔しきっており、とにかくこの「アイドル」を超越した「アーティスト」について何かを引き出したい、といった様子でインタビューに臨んでいる、というのがこの記事の質疑の書き起こし部分を読んでも伝わって来るし、むしろ半分自分語りというか、すでに自分の中で出来上がってしまっている「平手友梨奈」像というものを披瀝してやりたい、語り尽くしてやりたい、という気持ちが優ってしまって、ある意見では「誘導尋問」のようになっている、と言われてしまうのも頷けるくらい、インタビューする側が少しく熱くなりすぎてるきらいのあるような、何とも言えない妙なインタビューでもあって、それでも、平手は平手で色々と重要かつおそらく初告白であるような事実を口から零れ落としているので、非常に貴重だと思えたし、ところどころインタビュアーの意表を突くような、あるいはその「誘導」に飽きて諦めたり、逆にからかうような感じで受け答えしている部分も垣間見れて、そういった意味でも面白く読むことができました。

これを読み終えて一番に気になったのが、この10P弱のインタビューの末尾も末尾に唐突に登場した「セカオワ(SEKAI NO OWARI)のFukaseさん」の名前で、僕は平手ちゃんの人となりなどを詳しく知っているわけではなかったので、今回ここで初めて知ったわけですが、以前、今年の8月かそこらですが、NHKラジオで平手友梨奈とSEKAI NO OWARIの対談番組があったらしく(NHKの音楽番組「SONGS」での対談と並行して行われたらしい)、その時のエピソードを話していると分かって、随分と遅ればせながら早速先ほど聞いてみたのですが、そこでの会話内容というのが、ここ最近の平手友梨奈の心境に大きな影響を与えていて(対談以降のライブや芸能活動、そして『風に吹かれても』での男装・短髪化というイメージチェンジ等々含む)、このインタビューの場においても、多分そのFukase氏とのエピソードをどうにか話しておきたい、とタイミングを見計らっていて、ようやく最後の最後にさっとひと言、大抵の読者には脈絡がよく把捉できないような流れであっても憚ることなく、付け加えるように残して行った、という感じがあって、あるいはもしかしたら本人にとっては、その憧れの人と対談出来て色々と深い話をしたり言葉をもらったりして単純に嬉しかったという経験を何とか表明したかった、とそれだけのためのインタビューだったのかもしれませんが、とにかく「平手友梨奈とは何者か」を紐解く上で重要度の高いピースとして、セカオワというものがあるということを、このほんの数行から窺い知ることが出来たし、この夏の欅坂に関する様々な出来事というのも思い返すと、このFukase氏との邂逅に端を発しているような気もしてきて、「欅とてち」について考えるための新しい思考のラインを思いがけず得られたような思いもあります。
(※この動画の23分辺りに、Fukase氏が以前に発刊されていた『ロッキンオン』の平手インタビュー記事内の編集長による雑感的な文章を読んで感じたことについて語っている箇所があり、このときのエピソードが今号のインタビューの最後に語られている、という流れのようです。)

インタビューの中でもうひとつ面白いと思ったのが、平手ちのライブに対する取り組み方というか、この夏の富士急ハイランドで行われた「欅共和国」という単発のライブイベントぐらいから、ライブ演出にも意見を出すようになって来たらしく、その延長、あるいは現時点での集大成として、その後に続いたライブツアーのファイナルである幕張メッセ公演2日目の『不協和音』でのあの場内騒然の異様なまでのセンセーショナルな演出(残念ながら僕はそれを目にしていませんし、ライブレポートだとか、個人の感想などを総合して映像をある種捏造して見た気になってる状態なので、出来れば早急にその時の映像を流すなり、円盤化するなりして欲しいものです(笑))に繋がって行ったということで、あの年齢とデビューしてまだ1年という段階で、アイドルとしての責務を超えて、そこまで色々と手を広げてアイデアを出してしている、というのにも驚きと感心が尽きませんが、その辺りの話での発言がこれまた凄くて、以下にちょっと引用したいのですが、
「絶対に(観客の)度肝を抜きたいなと思ってたので」
「私はライヴをやっていくなかで、びっくりさせたいっていうのと、鳥肌立たせたいっていうのがあるんですよ。毎回来てくれるファンの方もきっといらっしゃるから、そういう人も含め驚かせたかったので。だから最終日だけダブルアンコールをやって。いつもの"不協和音"とは違うことをやりたくて。」
といったことを平気でというか本気で言ってしまえる、というクリシェで言うと「恐ろしい子供たち」というのか、そういう一種畏怖を覚えさせるようなことを常に考えている人間なんだな、というのがここに端的に表れていたし、けれどその言葉は決して軽簿に映るわけでなく、矢張これまで披露してきたパフォーマンスの中にその片鱗が幾度となく見せつけられて来ていたので、それ自体は多くはTAKAHIRO先生(※欅坂46のほとんど全ての楽曲の振付を担当している方)との共作(あるいは「共犯」)であったかもしれないけど、少なくともあの最も観衆の心臓に突き刺さり、その最奥部を射抜き、いわく抉られるような感覚を残した演出は、ほとんど平手友梨奈ひとりの発案で実現されたものである、という事実が明らかになった今、欅坂というものがTAKAHIRO先生の手を離れて、そしてもちろん秋元康の手からも離れて動き出そうとしている、という予感めいた感情を呼び起こさせるには十分な発言だと僕には読まれました。
(※これは9月末、夏の全国ツアーが終わってしばらく経って、新たなビジュアルイメージに一新された平手が、衆目のもとに初めて姿を現したときのライブ映像で、奇抜なダンスで話題をさらった『エキセントリック』のパフォーマンスの(「ほぼ」)フルバージョンが映像として残された現時点で唯一の資料でもあります。)

そして最後に、僕のゴシップ的な興味がそそられる対象である、「平手友梨奈と秋元康」の関係性について僕の下世話な妄想を働かせてくれるような箇所が本インタビューの結語に近いところにあって、軽く引用してみると、
「大っ嫌いなものと戦おうとしたから」
「仕返ししてやりたかった(笑)」
というまるで誰かへの当てつけのようなセリフが、「この1年間、何が平手さんを走らせていたんですか?」という問いに対して返されていて、このインタビューの前半部やそれ以外の別の機会での発言(上掲のセカオワ対談など)を踏まえて判断すると、一貫的に「大人嫌い」という信念にも近いパーソナリティは見えて来るのですが、それ以上にここで言う「大っ嫌いなもの」というのは、その漠然とした「大人」という存在を越えて(あるいは通り越して)何かもっと具体的な人物として特定の「大人」に対して抗い、「仕返ししてやろう」という、ある意味天邪鬼というか、それゆえに却って子供らしくも感じられる意思によって、デビューからここまで1年余りを駆け抜けて来たんだろうな、というのが想像されます(その具体的な個人というのは、「秋元康」であるかもしれないし、それとは別の僕の与り知らぬ近しいスタッフであるかもしれませんが、その辺りはあえて明言を避けているので、どう決定付けようがどれも想像の域を出ません)。

それで、この態度というのは秋元氏本人にも伝わっているらしく、その手探りな気持ちをあけすけに書き下ろしたのが、先日取り上げた『避雷針』という曲になるのではないか、と思い至りました。
このブログを書いた時は特に触れなかった部分なのですが(というよりそこまで深い事情まで突き詰められていなかった)、この曲の大サビで「僕はどっち側にいるの?」という歌詞がありますが、まさにこれこそがおそらくこの曲の中で秋元氏がどうしても書き付けておきたかった言葉で、これはそのまま平手ちゃんへの質問文なのだと僕は今回解釈したのですが、つまりどういうことかと言うと、平手友梨奈の精神世界には「大人」という明々白々な線引きがあって、そのラインの「こちら側」と「あちら側」では平手の態度が掌を返すほど違うどころか、「向こう側」に行くということはすなわち、平手の「大っ嫌い」な存在であり、闘争するべき相手となってしまうわけで、それは完全に不可逆なラインで、そこを超え出ると(ほんの少しでもはみ出ると)もう戻って来れないという、いわゆる「ポイントオブノーリターン」というのか、そういう非常に分かりやすい取捨選択の装置があって、例えば、セカオワのメンバー、特にFukase氏は明らかに「こちら側」の人間として、年齢的には十分大人であっても、平手にとっては信頼でき受け入れてもらえる人(たち)として措定されているわけですが、多分あの辺りの対談も、もしかしたら平手発信で出てくる記事は全て、秋元氏は見聞きしているような気が何となくしますが、そうすると、「僕はその線引きのどちら側にいるの?」というひどく直截的な疑問が頭を擡げて来て、本当に中学生に戻ったような気分で、どうすることも出来なくてそっくりそのままの文言を歌詞と言う名の「ラブレター」に書き散らしてしまった、とそう僕は考えるに至ったのです。

その問いに対する答えは、まだ分からないのですが、平手の中には「すごいものをやらないなら、もう出たくない」という傍目にはかなりの我儘とも言えるような気持ちが生じていて、それを現に周りに言い放てるくらいのアーティスト的な自我に目覚め、翻ると「やりたくないものはやらない」とか「伝えたいものではないものは伝えたくない」みたいな話になるとも思うのですが、そういったスタンスで活動をし、それを周りに認めさせられるような状態にあるようなので、秋元先生が平手に対しいかに「避雷針」的な愛情を誓ったとしても、平手は受け入れられないと感じたものは一瞬で突っ撥ねるような子であるわけで、今後、欅坂がこの『避雷針』という曲を人前で披露するかどうかが鍵になっていて、平手がこんな秋元の劣情の染み出した気恥ずかしい(あるいはもっと残酷に気色の悪い)歌詞を歌い踊るような真似は出来ない、と意思表示してしまえば、この曲のライブパフォーマンスは永久的にお蔵入りとなってしまうかもしれないし、その時はつまり秋元先生の愛は叶わなかった、ということになって、上記の僕の疑問に対する全ての答え合わせも完了してしまうように思われます。

とまぁ、今日はいつにも増して執筆量も執筆にかけた時間も大きくなってしまったのですが、それでも色々と現時点の欅やひらてちについて思っている由無し事をほぼほぼすべて書き下せたのは案外気持ち良かったので、書いた甲斐はあったような気がします。
以上、「三十歳の『独白』」でした(笑)
本当にありがとうございました。←

揮毫 貘宇

ドルヲタ系書家(仮)・永田貘宇のホームページです。 日記代わりに書作品を投稿しています。 作品製作の依頼等お待ちしております。

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