今日の書・1〜戦略的投票
ようやっと今日から書道ブログ的なものを始めたいと思います。
色々準備するものが揃ってなかったし、見切り発車気味だったので、最初のブログから1,2日あいちゃいましたが、スキャナーだったり、筆や用具類や紙もせっかくと思って新しく買って来たので、いよいよ心置きなく始められます。
それで最初何を書こうかなと考えたのですが、ちょっとこの言葉が昨日くらいから流行ってて何となく思うところがあったのでこれにしました。
別に政治ブログとかにしようってつもりはなくて、色々その日興味のあったことを徒然なるままに筆で書いてみようってだけなので、この初めの書でそういう方向付けがされちゃうと困るんですが、でもなんか妙にこの言葉が目に付いたし、ちょっとした違和感のようなものを感じたりもしたので、書いてみることにしました。
端的に言うと、僕はこの「戦略的投票」というものに否定的です。
それは僕の政治信条とかそういう話とは別に、これを一介の政治家が投票権者に対して半ば積極的に呼び掛けてるという現状に疑問を抱いてしまった、ということです。
投票権者の側が自発的にそういう方法を取るという意味での「戦略」は、確かにあり得ると思うし、無意識的にそういう方針で動いてしまう、ということは大いにあることでしょう。
それは、ある意味で能動的で、文字通りの「戦略」として機能し得るように見えます。
しかしながら、これを投票される側の政治家自身が、自分が当選するための「戦略」として利用しようとするのはおかしいと思うわけです。
まるで自分にイニシアチブがあるかのように有権者の「戦略」を誘導して、自らに利するよう「戦略」化しているように見えることに妙な違和感があるし、そもそもこの「戦略的投票」というもの自体、誰かに対する支持ではなく、不支持を原動力として行われるものであって、歪んだ民主主義的示威行動のように思えてなりません。
本来的には自分たちの政策を真正面からアピールして、それにより勝ち取られた信頼性によって大衆を惹き付けるのが真っ当な政治家の取るべき方針だと思うのですが、この「戦略的投票」を唯一の「戦略」として最後の頼みにしている政治家は、ほとんどヘイトスピーチに近いことしかせずに、あいつらのお仲間が嫌いなら、その対抗馬に全賭けして引きずり下ろせ、と是が非でも足を引っ張ろうとしているようにしか見えない。
ついこの間、「排除」というワードで大騒ぎしていたのは記憶に新しいですが、まさにその自ら糾弾していた「排除の論理」を振りかざして、有権者の投票行動を決定付けさせようとしているのは、何かの笑い話でしょうか←
この半年以上に渡って、退陣要求といういわば「排除」を願い続けて、ほとんどいちゃもんに近い根拠で喚き立て続けて来た結果、多くの国民はその子供じみた態度に呆れ果て、挙句某党は解党に至らざるをえなかったのだと思っているのですが、この期に及んでいまだに同様のことを続けてどれほどの人間が賛同するというのでしょう。
口を開けば同じことを念仏のように唱えるだけで何の生産性もない人種こそ、無意味な時間と無駄な金をただひたすら喰らっているだけで、国民感情としては「排除」も止むなしという状態にあったのではないでしょうか。
少なくとも小池さんはそうしたかったようですが、マスコミのバッシングからのパッシング&プッシングによって右へ倣えで半年前のことまでチャラになったように見えます。
結局「戦略的投票」を呼び掛けるくらいなら他にもっと人の心に響くことを発信することは出来ただろうし、僕はそういった話を聞いた時点で改めて心底幻滅してしまいました。
選挙制度を根本からひっくり返して、大昔の「陶片追放」方式にでもした方があの人たちは嬉しいんじゃないかとも思います。
そうすると、全く目立つところのない泡沫候補が漁夫の利で当選してしまうかもしれませんが、人を呪わばで却っていいかもしれませんね。
とまぁ、初回で色々書いてしまったし、ご覧の通り政治色が強く見えるかもしれませんが、僕自身は特別どこかを応援しているわけではなく、ただ客観的に見て言動がどうにもおかしいなと思ったため、あえて取り上げようと考え、こんな記事になりました。
今週末は、選挙ということで、似たようなテーマが続くかもしれませんが、その後はもうちょっと緩いワードでやって行きたいと思っています。
特に議論したいというのでもないので、コメントで突っかかられても困りますが、応援や単純な感想のコメントであれば歓迎します(笑)
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